刺激と反応の間
こんにちは。パーソナルストレングスコーチの丹羽幸美です。
皆さん、お元気でしょうか?非常事態宣言でたなかで、どのように毎日を過ごそうと思っている方も多いと思います。
7つの習慣を読んでいると第一の習慣の中に「刺激と反応の間」という見出しがついたところが出てきますが、ここで書かれているのが、刺激と反応の間には選択の自由があると書かれていました。
そして、その間には「自覚と想像と良心と決意」があると。
今、YouTubeで色々な動画が上がってきています。
新型コロナという刺激に対して、自分の選択の後に反応として、素晴らしい活動があがって来ているのを見ると、間のところがいかされている感じがします。
まあ、直近の話ですが上の娘に対して上手く反応できませんでした。
本当に、この子に対してはいつも反応で返してしまっていやな気持ちになります。
本当は、こんな気持ちになりたくないのに、自分の反応に対して又反応で返されるから余計には腹が立って納まりません。
最近こんな反応してなかったのになあ~とその後距離を置くことで反省するのですが、自分の資質の何が反応して怒りに変わるんだろう?
今回は、娘が郵便局についてきてと言ったので、連れて行った。この書き方が分からないと言ったので教えた。これだけのことなのですが、其の聞き方がものを教えてもらう態度ではなかったことに腹がたったのです。
私の中にこれって普通こうするでしょうという固定観念がありそれに触れたのです。それは、私の公平性。普通こういうときの対応の仕方はこうでしょうみたいな。
娘が、不登校のときも心の中で、不登校なんだから自分の部屋でおとなしくしているべきでしょうがあって、テレビを見てゲラゲラ笑っている娘に腹が立ってしょうがないときがありました。今回も、同じ感じです
大分、緩めることが出来た~と思っていたのに、再浮上。情けない。上手くコントロールできるときは、やはり刺激と反応の間に隙間が出来るとき。そうすることで、余裕が生まれるので、自分の何が反応していてどう対応することが今後に繋がるのかを想像することが出来ます。
自分の何の資質が反応しているのか分かると落ち着けます。
でも、今回のように隙間がない状態では反応を変えることなく、普段取っている言動になってしまいます。(習慣=知識とスキルと意欲の交わるところ)
今回、隙間が出来なかったのは、私の資質の『活発性』もあると思います。即行動が命のように思っているので、”つい”が普段から多いのです。
自分の気持ちは、教えてあげているのにそんな反応取られたら悲しい。なのに、それが怒りという選択を取ってしまった。そうでなくて、相手に視点を移すと
何が母はそんなに怒れているんだろう?自分は何を為たのか意味不明?というご様子。
そうか、分からないからそういう態度をするのか、冷静にこういうときは、そういう態度をしずに聞いてほしいと伝えれば良かったなあ。私の伝えかただ悪かったから、娘もイラッとしたのかなあ?のように一歩下がることが出来れば、こんなにいやな気持ちにならなくてすんだのかも知れません。
活発性を緩めるべく、普段から娘の言動に注意深く観察することが必要だなと感じました。
自分をしる事ってやっぱり大事。自分の安定度も変わってきます。今回は、反省でしたが、次回にいかそうと思いました。